<notteの独り言>8月15日にむける言葉
こんばんは。RITTAです。
ん?もう8月16日だろって?
いえいえ、こちら(イタリア)はギリギリ15日。
日本の8月15日は、終戦記念日ですが、こちらはマリア様が天に召されたという「聖母被昇天祭」で祝日です。
それに合わせてか、ヴェネツィアーノたちのお店も今週からお休みしているところが多いですね。
体はこちらにあれど、忘れない毎年のこの日。
今日のnotteの独り言はそんなことを綴ってみたいと思います。
今から約3カ月前、6月中のことです。
その時の私は、まだイタリア語を聞きとることすらできない状態で語学学校に通っていました。
先生の言う事、私と同じ生徒たちが話す事。何を言ってるのか何回か繰り返してもらわないと分からないような有様でした。
その日もそんな状態で彼らの言葉に耳を傾けていると…
「・・・kamikaze・・・・」
(カミカゼ…神風!?)
私にとって、あまりにも聞きなれた言葉が耳に入ってきたのです。
彼らの会話は続きます。
「Londora・・・ISIS・・・terrorismo・・・kamikaze・・・」
なるほど、理解しました。彼らは今年の6月3日にロンドンで起きたISのテロ事件について会話をしていたのです。でも、なんで神風?
私は手元の電子辞書(伊日)ですぐにその意味を調べてみました。
kamikaze:1.神風特攻隊(員)
2.向う見ずな人;無謀な行為
3.(命知らずの)テロリスト、ゲリラ戦士
私は何だか面喰ったような気持ちになりました。同時に少し悲しい気持ちにもなっていた。
私たちは少なくとも、美談でもあっても醜聞であっても彼らの事を知っています。危機迫る日本の、まるで花火ような存在であった彼らの事を。今でも、ある人は熱く彼らの事を語り、ある人は淡々と重低音のように彼らの事を語る。
どちらにしても私たちにとって忘れてはいけない歴史の1ページであるはずです。
それくらい重い物だと私は思っていた。でも、世界にはそれが全然届いていない、と私は彼らの会話を聞いていて思ったのです。
テロリズムと特攻の相違点なんていうややこしいところまでここで足を突っ込む気はありません。
ただ、私たちは彼らの事を世界に伝えようとしてきたのか。しなかった結果がこの"kamikaze"に込められているような気がしてならない。
もっとも、この言葉の用法は彼らのターゲットであったアメリカから来てますからそういう意味になるのは当たり前。ただ、半世紀以上かけてこの意味を変える事はできなかったのかな。
終戦72年目。
色んな現場で、過去の反省や教訓がなされてない事を知りました。
そして、また新たに気付いた一面。何度思い返しても何だか悲しい。