ヴェネツィア日日

2017年4月から次の年の3月までのヴェネツィア滞在。どれだけこの街を知る事ができるかな?

<notteの独り言>井の中の蛙、大海を知らず。

Ciao!

RITTAです。

今日の<notteの独り言>は深夜の考えがちなこと笑

 

日本に生まれ育って4分の一世紀。

生まれ持った性格もあって、新しい事に手を出すのが正直苦手です。

でも、そのお陰か、この世はまだまだ知らないことだらけ。

今の生活も憧れて実現してみたけれど、「あわわ」ってことばかりなのは否めません。だって、ずっと日本にいたんだもの。中学・高校のときに興味があったのは「日本」であって、「世界」ではなかったし、その根性のまま大学まで行っちゃったし(その大学は日本リスペクト!な大学だし笑)

当時は疑問だったんですよね。自分の国ことを知らずにただ世界にばっかり目を向けてしまう世間に(単純に英語が苦手だったというのもありましたが笑)。

それは例えば、小学校の段階で英語の授業を必修化するのに疑念を抱く感覚と似ていると思います。「グローバル」「グローバル」っていうけど、真のグローバルな人ってけして世界だけに目を向けている人ではないと思います。

これは私の意見ですが、自分の根本がしっかりとしていて、その次のステップにあるものだと思う。…とって、この「根本」部分を教育として施そうとするとちょっと面倒な課題が出てきてしまうのはウチの国の性格ですが汗

でも、だったら「教育」にしなくても、できる方法を模索すればいいだけですよね。

帰りたくなる家や残したくなる物、伝えたくなる物ってどうやったら心の中に芽生えるのでしょうか。

 

少し話は変わりますが、私は大学生のときに日本近現代史を専攻していました。しかも、研究したのは軍隊。昔からこの存在に惹かれるモノがあって、好きでやっていました。

研究をする際(私は中々この域まで達する余裕がありませんでしたが)、色んな視点が必要ですよね。自分と全く反対の立場の意見、似てるけどちょっと違う意見、そんな見方もあるのかーーーー!って感じの意見。

それらの意見を理解し、「それでも私はこう考える。なぜなら…」という。それが相手をより納得させる論の展開に繋がっていく…自分の論の世界感に重さを与える…。

違う意見を理解するって、実はすごく難しいことです。特に全く反対の場合は、「なんでそういうことになっちゃうんだよ!」って感じることもあるでしょう。

それでも、カッとならず(短気な私には難しいですが)、じっくり相手の話を聞く。彼がどんな環境で育ち、その環境はどんな歴史を持っているのか。そして、理解する―もちろん、私なりですが―彼がどうしてこういう意見を持つのか。

そうなると、彼の意見が自分と反対だからって頭ごなしに否定する気にはなれなくなります。

「分かる、君の気持ち」

と寄りそいたくなる。

…と、なぜこんなことを言い出したのかと言うと、今リラックスタイム(ほぼ1日中だが笑)に読んでいる好きな日本の作家のエッセイが所々…なんだか胸糞悪いのです。

ああ、なんかこの人「井の中の蛙」なのかしら…?と思う箇所が多くて。

この作家もとあるイベントのためにできれば行きたくない海外に行って、当り前じゃない日常にケチをつけるんですね。

もし、私が日本でこれを読んでいたら、きっと「ほぉ海外ってやっぱりそんなもんなのかねぇ」とか思っていたんでしょうが、今は違います。

「え?そんな…日本じゃないんだから、少し考えれば分かるじゃん」

と思うところが多くて…。なんか日本にいると「外国人」ってだけで突拍子もないことをしでかすイメージがあるけど、けしてそんなことはないと私は思います。

日本人がそう思ってしまうのは、彼らの言ってる事をちゃんと聞きとれてないからなんじゃないかな?

 

ああ、また音痴な歌みたいにはじめとおわりの音が違うような文章になってしまいました汗やれやれ。久しぶりのブログは難しいなぁ。