【notteの独り言】やっぱりそんなこと言ってるのよね…
Ciao
今日は冷たい雨が降り注いだヴェネツィアです。
同じクラスの人が言ってましたが、一度家に帰ったら、もう外に出る気をなくすような天気でございます…。
お日様いらして!!!
今日は、今週何回か遭遇したとある状況で思ったことについて【notteの独り言】。
結論から言うと、やっぱり言ってる事が分かると辛い事もあるよねってお話なんですけれども笑
まあ、なぜそんなことを考えたのかと言うと、私の友人が欧米人(こんな書き方はしたくありませんね)にからかわれているところを何回か遭遇したからなのですが。
その方は、こちらに来て3カ月。確かに言葉はまだまだですが、とにかくヴェネツィアに対しての情熱がすごいです。勇気もものすごくある。私が考える語学を上達させる際に必要な基本的な部分をしっかり持った方です。
ただ、(よくある事だと思うのですが)伝いたいことでもまっすぐ伝わらないと「あ、こいつダメかな」みたいな扱いをされることがあるんですよね。私も何回もそんな事は経験したし、私のイタリア語に対する情熱なぞ、前述しましたが、ろうそくの火程度でしたから、何回も消えかけるはめになるわけですが。
そこは時間がなんとか解決をしてくれるのでして、同じ事繰り返したり、色んな事を聞いたりしていれば、何となく無難な(ここら辺が日本人っぽいですね笑)回答ができるようになりますし、反応だってそれなりな正解(ここら辺も日本人っぽい笑)ができるようになるんですよ。ふう、さすが空気を読む文化の国で生まれ育っただけあるぜ。
で、そんな状態の私と彼女が一緒にいるとどんなことが起きるのか…。
彼女に話をしてすぐに伝わらないと、人によっては彼女の愚痴を私にポロッと話したり、また話しているのが分かってしまったり…。
そんなとき、何を話しているのか分かると正直ちょっとぞっとしますね。
いや、私だってそう言われてきたんだろうけど。
あからさまな「お子さま扱い」されたら、人によるし、気分によるけど、プライドが高くて折れやすい私なんかは、たぶん、しばらくHikikomoriになりますね。イタリア語を見たくも聞きたくも話したくもなくなるんじゃないかな。
「語学を勉強するときは、子どもになりきれ」と言われますが、その道を私は採れませんでしたね。私は「語学を勉強するときは、芸人になれ」の道を採ったんだと思います、今考えるとね。
そうそう、イタリア語話せない彼女に向かって、お説教を始める人もいます。
日本人同士でいるときは、日本語話してるよというとね…いや、イタリア語話せし!って言われるのです。。。
分かっておりますよ、でも、あまりにも違いすぎる言語だから、「癒しの日本語」が必要なのよね。思っていることがちゃんと「言葉にできる」ことがね。
伝えたいけど、伝えられないってストレスですよ。だから、こうして言葉を伝えられる相手がいるっていうのは幸いな事ですよね。
それでも、私は求められたら日本人同士でイタリア語だってできます!やります!めちゃくちゃだけど笑
でもさ、途中で”Come si dice 〇〇(日本語)?”って日本語で聞けるだけ楽じゃないですか、日本人同士で話すときは。もう他の国の人と話すときなんてその単語(〇〇)を説明するためにどんだけ遠回りをしなきゃいけないのか…脳が活性化されますわ。。