【notteの独り言】人生の時間
Ciao
久しぶりのRittaです。
気がつくと、帰国まで3ヶ月半くらい。
驚くほど時間が経つのが早いのですが、驚くほど語学がはかどりません笑
いやいや私がpigraなせいでしょう笑
…笑えねーよ!
La mia vita è stressante だが、guardo la vista di Venezia でrilassante だわ!
全然ブログつけてないし汗
そのうち、日時を調整した記事が大量に流されることでしょう…。
今日はうちの先生が話していたことで、なんだか胸に響いた事を書き書き。
今、私が教わっている先生は語学教える傍でミュージシャンもやってるという人。
適度に皮肉めいた性格の入った、教えるのがめっちゃうまい先生。(あと発音にめちゃうるさい先生でもある…。私は言葉を発するたびに指摘されるので、度々貝になってしまう笑)
前述したように、彼の本職はミュージシャン。でも、それだけでは生活できないから語学の先生もやっていると本人は言う(学校で言うことによって同時に宣伝もできてるけどね!)。
今日は何からそんな話に飛んだのか、覚えていないけど、彼の人生や彼のように芸術に身を捧げた人の生活を垣間見るような話を聞いた。
彼はもともと、音楽の勉強をしていたわけではなかったらしい。それを始めたのは海外留学を終えてからだったそうだ。それから数年学校に通いつつ、稼ぐための仕事を見つけ、それから、ミュージシャンになって(つまり、CDを出したり、舞台に立ったりして)現在に至るんだと。
彼の知人には、音楽院で講師をやりつつ、ある時期が来たら休みを一定の間取り企画したプロジェクトを実施するという生活をしている人もいるらしい。
当たり前と言われれば当たり前なんだけど、その道を実現してる人っていうのは地道な生活をしてるんだなぁと思った。
なんというか…私たちの日常からとてもかけ離れた日々を送ってるわけではないんだなぁと。
もちろん、一本立ちできる人はすごい。でも、その前段階にあって生活してる人たちにも魅力を覚える。当人たちは未来に向かって必死だろう。
でも、その姿が美しいなぁって思った。
ま、一番驚いのはうちの先生がごくごく若い時から音楽家志望ではなかったって事かな笑
私の友人にすっかり大人になってから、声楽家を目指している子がいますが、何になりたいとか、何をしたいとかに年齢は関係ないんだと証明してくれるいい例です。2人ともね。
ヴェネツィアにいると、ある意味時間の感覚を忘れます。今のところ、ふたつの意味で。一つは歴史の「時代」という感覚を、もう一つは人生の「時間」です。
兎角私たちは(特に東京にいたりなんかすると)、「何歳まで何かをしなければならない」とか、「しておいた方がいい」とか、いや、逆に「そんなの関係ないんだーー!…たぶん」とか。
所謂世間の目と自分の気持ちを足して、丁度良いところで落ち着いているんだと思う。ただ、ちょっと自分は妥協させているんだと思う。
そんな後悔が、東京には溢れていたと私は思う。流行の本や漫画、歌、ドラマ、映画…。
特にそれを感じたのは、私がよく接している漫画かな。日常系が増えた、というか。これも流行なのだろうか。
心の中でうじうじ思ってる事をひたすら書いてる漫画が多いこと、多いこと。
めんどくさいなぁ、そんなに色々思ってるなら言ってしまえよ!お前ら日本語同士で話せるんだろ!
…と、意思疎通もできない漫画の登場人物に悪態をついてしまう(でも、恐らくですが、こういう漫画を描く作家さんというのは人生経験が「甘い」と思う。まぁ、私もな)
とにかく、東京の時間って自分だけとはいかないような感じだと思うのです。私の場合は家族や恋人がここで生活をしてますからね、そう、前述した「世間と自分を足して丁度いいところで落ち着いていた」のは私は自身なのですね。
でも、そうじゃない道もあるんだよっと教えられた気分になってるんです。頭が知ってたけど、見るのは初めてな状態笑
でも、その選択肢もあるんだって分かりました。
もちろん、不安と責任は大成するまで、または大成した後でもまとわりつきます。現に頭を抱えてるのが、前述の2人であったりもする。現実的な収入や将来のこと、愚痴は止まりません笑
聞いてると「おいおい大丈夫かよ…」って思うことは結構ある笑
でも、(借りてきた言葉で恐縮ですが)自分で終わりにしない限り、本当に遅い事はない。
素敵な人生を送りたいなぁ