ヴェネツィア日日

2017年4月から次の年の3月までのヴェネツィア滞在。どれだけこの街を知る事ができるかな?

おっぱい橋と女の話。

Ciao!

RITTAです。

今日はちょっとシモいお話。

 

まずは、皆さんに問題です。この橋はなんというでしょう?

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*ヒントは後ろの表記。

この橋の名前は"Ponte delle tette(ポンテ・デッレ・テッテ:テッテ橋)"。

"Le tette"とは…おっぱいという意味です。

つまり、テッテ橋をちゃんと?邦訳すると…おっぱい橋!

 

みんな、おっぱい好きでしょう?

 

恐らく、もう予想が付いていると思いますが、かつて娼婦のお姉さん方がおっぱいを晒してここに立っていたことが名前の由来です。

しかも、ただの娼婦のお姉さんじゃない。同性愛の疑いがあったお姉さんたちなんです。時代にして15世紀頃。ヴェネツィアでは、同性愛が男女とも広がり、社会問題化していました。

事を重く見たヴェネツィア共和国が法令を出したりして、歓楽街を奨励していた時期があるんだとか。

ヴェネツィア、娼婦、ときますと少し詳しい方はすぐに"cortigiana(コルティジャーナ)"という言葉が思い浮かぶのでないでしょうか。

彼女たちは娼婦の中でも高い教養を兼ね備え、紳士の相手をする高級娼婦。まるで…そうですね。花魁のような存在です(でも、なんとなく調べてみると、ちゃんと家も持っていたりする感じが、花魁より自立してるなと思ってみたり)。

この髪型の感じとか、なんか似てますよね…。

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何回見ても髪型が理解できない…。どうなってるんだ?

これはきっと、花魁の髪型が理解できない外国人と同じだ!そして、左側のお姉さんがいつもかわいいなぁと思う…。

ちなみに今「コルティジャーナ」で検索すると東京の夜のお店とか、エロゲのページばっかり出てくる…。ちゃんと考えているのね…。

そんなコルティジャーナには、日本の花魁同様魅力的なお話から悲しいお話まで色々なエピソードがあります。彼女たちのコスチュームについてとかも中々おもしろいですよ。

でも、私には今情報が欠けているので私なりのおっぱい橋アプローチ。

今日は、そんなおっぱい橋にかけてヴェネツィアの夜事情を…

道家斉一郎著

『欧米女事情』(白鳳社/昭和5年)

…から覗いてみましょう!

道家氏、2度目の登場です。前はヴェネツィアの「蚊」に関する記事で登場を願いました。

でも、彼の本分はけして血を吸う「蚊」を対象にしているわけではありません。

「女」でございます。

 

さて、彼はフィレンツェからヴェネツィアに鉄道入りしました。

(って、今こう書いてみましたが、正直まだ飛行機使ってないから基本的に鉄道入りですね)

初めて見たヴェネツィアの街。彼はこう思います。

「いくら水の都といつても、まだ見ぬ人にはあれ程水が多いとは思はれぬであらう。実際予想されない程水が多い」
「乗物は船より外に何も無い、今でも往来である川をモーターボートが横暴に波を立ててゴンドラを弱らせてゐる」

抱く感想、皆さんと同じです。昭和5年頃、もうヴェネツィアにはモーターボートがあったんですねぇ。

今は"Grandi navi(グランディ・ナヴィ:豪華客船)"に街全体が弱らされているようですが…。

夜に到着した彼は、すぐにゴンドラに乗ってホテルに向かいます。

そして、ホテルに着くと夜のお店探しに行こうとしますが…。ここで困ったことが。

というのも、彼の経験則で大体商店街に行けばそれっぽいところがあるのはわかっていたけれど、「水の街」だとどこに行けばいいのか見当がつかないのです。まさか、娼婦が船で客引きしているわけもないと彼は思います。思案した結果、カフェーのあるところ―サン・マルコ広場に行ってみる事にしました。

サン・マルコ広場に行くと、案の定「女もポツリゝと出てゐる。矢張り例の通りホテル」がありました。

しかも英語を話せる娼婦が多いので、試しに1、2人に話しかけてみると一方はおぼつかないまでも話せる。しかし、もう一方は…

『これがあるから大丈夫です。分からないことがあつたらこれで話をしますから』

と、英伊辞典片手に熱心に彼を勧誘(今だと、スマホ片手にグーグル先生がいるから大丈夫!とかいう人いそうですよね)。そこで、年齢やその他の事を聞くも通じない。でも、彼女は英伊辞書があるから大丈夫!と言うばかり。話をまとめてみると彼女とヤるためには約50リラ(約5円(現在の約3718円。安いと思うなかれ。当時はコーヒー1杯(日本で)10銭(約74円)))。ホテル代は25リラ(約2円50銭(現在の約1859円))。話が通じない娘を相手にしても仕方ないので、少しお金をあげて彼女とは別れてしまいました。

彼は、ホテルに戻りボーイに「クック旅行社(トーマス・クック・グループ:近代的な意味での世界最初の旅行代理店。現在も存続中)」の場所に案内してもらうことに。…というのは口実で、現地に着くと彼はボーイにドイツ語でこう命じました。

「女の居る所へ案内しろ」

要領を得たボーイは「ニコニコ」(絶対にまにまの間違いだと思うけど…)と笑って「カーレド・グリン・アルメニー」という横町に案内した。ほとんど人通りのない薄気味の悪い場所で、そこに行くまでは…。

「クックの事務所に向かつて左手の横町に入つて、突き当たると左手に小さい石の太鼓橋があつた。それを渡つて又左に行くと薄暗いトンネルのやうな所へ出た。そこから初めて横町を突き当たるとカーレド・グリン・アルメニーという横町がある」

んー…確証はありませんが、恐らく"Calle degli Armeni(カッレ・デリ・アルメニー)"という道の名前ではないかと思います(道家氏はイタリア語じゃなくて、フランス語読みで"calle de gli Armeni(カッレ・ド・グリ・アルメニー)"と読んだのではないか思います…確信はないが。ちなみに今はこの道の名前はなくなっていて、その名を残すのは近くにある"Sotoportego degli Armeni(ソットポルテゴ・デリ・アルメニー)"だけ)

ちなみにここらへん。

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 "Chiesa di S.Croce degli Armeni(キエーザ・ディ・サン・クローチェ・デリ・アルメーニ:サン・クローチェ・デリ・アルミーニ教会)"の横の道かと…。

早速私も現場に急行してみました。

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な、なぜ"dei"なんだ!

確かに、周りの道は結構賑やかだけど、ここだけはひっそりとしているそんな場所でした。変なお店とかは一切ありませんでしたよ。

…っていうか、この教会のひっそりとしたたたずまいの方がなんだかぞっとしてしまいましたが。

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何はともあれ、そこに着くとボーイは「ミス・エレザ」と書かれた表札のベルを鳴らすと肥ったレディが2階から降りてきました。どうやら女主人の模様。

道家氏は案内はここまでで結構、とボーイに少しお金を渡して帰らせました。

『2階にお上がりなさい』

と言う彼女の言葉のままに、彼は2階に上がると右手の部屋が開いている。覗いてみると…

四人の肥つた女がトランプをしてゐた。それぞれ口紅をつけて眉を引いて、瞼(まぶた)を薄鼠のやうな藍色のやうな色でくま取つてゐた。如何にも醜悪婦で御座いとかんばんをぶら下げてゐるやうな化粧だ。一人はシガレツトをすぱすぱ吹かしてゐた。何のことはない、日本でいへば亀戸や玉の井の私娼窟で硝子障子から顔を出して
『フランス式にやります』
といふ女のやうな醜悪な感じがした

*この「フランス式」というのがどういう意味なのか、まだ調べている途中です。

要するに、彼は嫌な予感がしたというわけですな。

女主人に促されて、4人とも彼の前に並びました。そこで彼は前例(サン・マルコ広場に居た娼婦)のこともあるのでまずは、英語が話せるかと英語聞くと、

『・・・・・』

今度はドイツ語はできるかとドイツ語で聞くと、

『・・・・・』

最後にフランス語はできるかとフランス語で聞くと、

『・・・・・』

彼は思った。

殆ど問題にならない。話を聴かうにも言葉が通じないでは何することも出来ない。

 そこで、女主人に値段を聞くとショートタイムで30リラ(約3円(現在の2231円))。更に泊っていくのかと尋ねられて、道家氏はちょっとうろたえる。もうそんな気がなくなっていた。

『室を見せて呉れないか』
と頼むと日光の射さうもない昼でも電灯をつける薄汚い室に案内された。と、私は逃げ仕度で、
『実は今夜はホテルに友達が待つてゐる。だから何れ改めて来る』
と、告げると、
『左様ですか。ではまたお出でなさい』
と、至極あつさり切り上げる。日本の遊郭のやうにしつようにからんで来ない。なんだか此方で気の毒のやうな気がした。

と、道家氏の希望に適う女性はいなかったものの、彼が店を後にするときに、「二人のベニス青年らしいのが入れ違いに入つて来た」というのですから、御商売なさってたんでしょうね。

 

これが、1930年代前後のヴェネツィアの夜のお店事情の一部だったみたい。彼は本番までしていないから、肝心なところは分からずじまいですが…。人が多くいる街らしく彼女たちは探せばすぐに見つけられることが分かりますね。

では、現在はどうなのか。

―たぶんですが…、すごくよく探さないと彼女たちのような存在に出会えることはないかもしれない!!特に本島の中では…。

その代わり、メストレ行くといっぱいいるらしいよ…?

 

最後にこの体験談を書き残してくれた道家氏についてちょっとだけご紹介。

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道家 斉一郎(どうけ せいいちろう)

明治21(1888)年6月13日~昭和17(1942)年3月28日 東京府出身

意外な経歴の持ち主で、彼は実は経済学者。専修大総長であり、衆議院議員でもある。

あ、しかも昭和5年(この本の出版年)に専修大評議員になったんですね…。

どうして、こんな本を書いたのか…わからんですねぇ。。

あ、ちなみにこの本、後に発禁本になってます。

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国会図書館のデジタルライブラリーで読む事はできますが、該当の箇所がこんな感じで削除されてしまっていて読む事は不可能。

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道家氏…どんな経済の調査をしていたんだよ!!

 

[参照]

国立国会図書館デジタルコレクション - 欧米女見物