大田黒氏「あ、普通の観光客と同じことしちゃった…」
こんばんわー
今日もヴェネツィアは暑い暑い。。カモメはこわい。。
さて、今回は近現代史の日本人たち…我々の諸先輩方がヴェネツィアをどう捉えていたのかというのをちょっと見てみようと思います。
本当は、まとめて投稿したいのですが…実は結構あるので、(そして、面白いので)小出しして行きます。
今日、ご紹介するのは…
大田黒 元雄 著
『華やかな回想』(第一書房/大正14(1925)年)
これは、大田黒さんが欧米各地を周遊した時のことを記したエッセイ。
そこに、「ヴェニス」の項目があります。3ページくらいだけどね!
彼の回想の中のヴェネツィアはおよそ今と同じ姿をしています。
例えば彼はサン・マルコ広場に訪れ…
「サン・マルコの広場をかこむアアケエド(ママ)に散在する幾軒かのカフエでは頻りに音楽が行われてゐた」
今と同じですね。
そして、たぶん、日本人なら(いや、日本人でなくても)この街に来て夜、歩いていればこう思うでしょう。
「晩飯を終つた後、ホテルのバルコニイに煙草を吸いながら、暗い水路とそこにうつる灯影、また影のやうに往来するゴンドラの姿を眺める気持は、つまり人を感傷的にさせるやうなものであつた」
ところで、彼は実はすごい有名人。特に音楽史方面の方(例えばmia mamma)にはとても有名。音楽家?声楽家?
いえいえ、彼は音楽評論家。しかも、日本における音楽評論の草分けと知られる人物です(但し、wikiさん曰く)。
そんな訳で、ヴェネツィアを訪れた太田黒さんはやっぱり音楽方面でも何か見て行くのかな…と思いきや…
「ヴェニスに過ごした二日の間、私は殆ど音楽の存在を忘れてゐた」
…どこの歌劇場にも行かなかったそうな!
でも、彼はそれを日本に帰ってから悔やむ。どこの都市でも音楽を聞きに行っていたと言うのにこの街は「(前略)私をあまりに通常の遊覧客の一人にしてしまつたのである」。
不思議な事です。でも、ヴェネツィアってそういう街だと私も思います。
私にとって、今のヴェネツィア滞在は2回目。
ヴェネツィアってたくさん教会があって、美術館があって…見るものがたくさんあるはずなのに、1回目の滞在の時はひたすら街を歩いてました。いえ、この街に見とれてました。帰ってから気付くんです。
私は、何もしてなかったなぁと。
話が横道に反れました汗
大田黒さんの話に戻しましょう。
ちょっと彼のプロフィールをご紹介。
大田黒 元雄(おおたぐろ もとお)
明治26(1893)年1月11日~昭和54(1979)年1月23日
父・重五郎は、日本の水力発電の先駆者。芝浦製作所(現・東芝)の経営を再建し、財を成した人物です。
その家庭に生まれた彼は裕福な環境で若い頃から欧米や様々な音楽に触れて行きます。お父さんの仕事を手伝っていたこともあるけど、ほとんど芸術的な自由人としての生活を送っていました。
…が、駄目なおぼっちゃんではありませんよ。
彼が開化したのは前述しましたが、「音楽評論」というジャンルでのこと。とにかく著作は多岐にわたります。この功績が認められ、昭和39年には紫綬褒章、昭和42年には勲三等瑞宝章を受勲。
彼の自宅跡は「大田黒公園」(東京都杉並区荻窪)となっています。その仕事場は「記念館」として保存されています。
私も帰ったら行ってみようかな。
最後に彼がこの本の扉に記した文章を。
「此の取りとめのない印象録は、理屈や議論を好む人たちにはよろこばれないことであろう。けれども幾人かの友人は、此の本を愛してくれるに相違ない。
これはさういう友人への贈物である」
大田黒さん…なんか話してみたい人物だなぁ。
【参照】