人はそれをノスタルジアと呼ぶのかも。
Buonasera
Rittaです。
最近のヴェネツィアは、秋風が気持ちよく絶好のお散歩日和。
街行く人の顔も穏やかでいい感じ。
私の母は音楽の世界の人です。
私が物心がついたときから、部屋には彼女の弾くピアノの音と彼女の歌う声が響き渡っていました。それを聞いて私は大きくなりました。
しかも、小学生になってからはコンサートの手伝いに駆り出される事が多く、舞台の裏側というのもよく見ていました。私のポジションは受付でした。お駄賃をダシに連れ回されていたんですねぇ。
この世界の人たちは、得てして「使える」人間をこき使います笑(もちろん冗談ですが、そんな感じじゃないですか?親がこの世界の人たち!)
特に興味があるわけでもないけど、彼女がやるコンサートのほとんどがコーラスで何となく聞いてきました。
私自身は残念ながらこの世界の人ではないので(この世界よりももっと引きこもりな世界の住民です)、知識は全くありません。だから、彼女と話をしてても「ふんふん」頷いて肝心の内容は右から左状態です。残念なことに…。
小学生からコンサートを手伝っていた、と前述しましたが、それも大学生になるとほぼ無くなりました。元々、チケットを買ってまで音楽を聞くタイプではない私はコンサートとも縁が遠くなりました。もちろん、コーラスとも。
でも、ヴェネツィアに来て”コンチェルト(コンサート)”によく行くようになりました。
こちらでは、教会などで不定期の無料のコンチェルトが催されます。
ヴェネツィアの教会で、無料で、音楽を聞けるという素晴らしい条件に興奮してそんな情報を見つけてはどんな時間でも、どんなに自分のうちから遠くても行っています。
(だって、普段は有料の教会に無料で入れたりするんだよ!)
そして、毎回感動して家に帰るのですが、コーラスを聞いている時、何だか懐かしさを感じるのです。
聞いた事がない曲ばかりなのに、どうしてなんだろう、と考えてその答えを見つけるのはとても簡単な事でした。
コーラスが、私にとっては懐かしい存在だったんです。
なんとも言えない甘い、思うだけでぽっと胸があたたかくなるような存在だったんです。コーラスという形のない物が、ではありません。その中にいた「母」という存在に対してです。
コーラスを聞いている時、まるで彼女に会っているような気がしてくる。
聞いてるそれは、確かに素晴らしい技術を持っている。でも、それとは別に私を安心させるものがある。
不思議なものです。
ま、私が一方的に満足しているので彼女にそれは届いていないわけですが…。
でも、これって一生のプレゼントなのかもしれません。だって、どこにいたってどんなときだってコーラスがあれば私は心の中にちょっとした明かりを灯すことができるのですから。