ヴェネツィア日日

2017年4月から次の年の3月までのヴェネツィア滞在。どれだけこの街を知る事ができるかな?

気がつけば、あと…①

Ciao!

お久しぶりです。

気がつけば、あと1カ月で帰国。

なんだか早いような、ゆっくりしているような。

実は年明けから一週間毎にカウントダウンしていたりして、帰国のその日が待ち遠しかったりもします。その逆で、帰るのが惜しいとふと思うこともある。

今日は、そんな気持ちを綴ってみようと思います(書き途中の記事をほっぽって…)

 

ところで、今日のヴェネツィアはとても悪い天気です。風が強いし、寒い…。

そして、私は風邪引き中…。見かねたホストマザー、レモネードを作ってくれる。。。

(んでもって今日はお昼も作ってくれた…)

 

さてさて…

思い返して、もしこの1年に点数を付けるとしたら何点なんだろうと考える事があります。60点かな、というのが私の見解。正直赤点だと思います。

なぜかというと、自分の中でずっと気付いていたけど、やっぱりそうかだったかというという点を乗り越えることができなかったからです。それに派生する他のマイナスな事も結局上手く自分の中で納得なり、消化できていないのは受け止めるしかありませんね。

また、目的の設定(と、書くとなんだか堅過ぎて嫌ぁな感じですが)が明確でなかったのは問題でした。1年前の私は少々頭の中がパニックに陥っている状態でして、「とりあえず来てしまえ!」という気持ちが恐らく心の70%くらいを占めていたと思います。

それを実現させるかどうかは別として、貯金の目標としてそれ(=留学)を掲げて懸命に働いておりました。だから、ほとんどお金の問題はクリアしていたのですが、それ以外は何の準備もしていませんでした。

例えば語学面。数年前に大学で習った(しかも、不真面目すぎて先生にため息をつかれる)レベルのイタリア語のまま、結局イタリア本土へ向かってしまいました。そんな日本人は多いみたいだけど、できればイタリア語は日本にいるレベルで不自由のないようにしていた方がこちらのでの生活は楽しめるのではないかと思います。また、我々は「文法を理解していないと言葉は話せない!」と思いがちですが、現実は違います。

現実は「言葉」を知らないと「言葉は話せない」です。つまりは、ボキャブラリーの充実を指しています。今度、また何かの機会で外国に行くことがあったら、私はボキャブラリーをとにかく頭に詰め込んでいこうと思います。

文法というのは、不思議な物で知らなくても現地で勉強すると何となく理解できます。しかも現地の感覚で。これが大切なことなんじゃないかな、と私は考えます。

私がイタリアに行く前に知ってた文法なんて、現在形だけです。

近過去・半過去・大過去・未来形・ジェルンディオ・接続法・接続法過去・条件法・受動態などなど…

全て1年いるうちに繰り返し、繰り返し授業でやってなんとなく使い方が慣れてきて、「こんなときは近過去」「こんなときは半過去」と使い分けができるようになりました。イタリア語の表現を日本語のイメージと繋げることができるようになったみたいです。まだ、未完成ですが。。。

よく、言語習得の早道はその言葉の「頭」を作ること、と言いますが、納得です。本当にその通りで、該当言語を該当言語で理解するようになると上達が早い気がします。いちいち母国語を挟まないんですね。

私のクラスメートに「私はイタリア人になるの」と言って頑なに祖国の話をするのを嫌がるドイツ人の女の子がいました。いやはや、彼女は私とほぼ同時期にイタリア語を始めたのですが、今や本当に「イタリア人」になってしまいました。

何が彼女をそこまでさせたのか、真相は分かりませんが、確かな事は一つ。

「愛」がイタリアにあったからです。

そう、彼女の彼氏はイタリア人なのです。…これも言語上達の一つの鍵であることも確かです。彼氏・彼女・夫・妻・親とか愛のベクトルが向く相手がいるとどんどんうまくなっていきます(それでも、最後は本人のやる気次第です。イタリアに2年いて、上手く話せないという知り合いもいますから)。

さて、こんな偉そうにイタリア語について語りましたが、私の留学目的は語学ではありません笑

語学留学はヴェネツィアにいる理由付けに過ぎませんでした。そのため、1年前の私は心配しておりました…

(そんなに興味のないイタリア語の勉強なんて…途中で飽きてしまうに違いない…)

果たして…そうでありました。飽きる、というか絶望すると言った方がいいような気がする1年間(現在進行形)でありました。なぜかというと、他の人に比べて話している「内容」の理解が遅いからなのです。授業でも文法についてやっているときは得意満面でした。だって、まるで数式みたいにルールの上で言葉が変化してるだけに見えたから。

でも、それって「言葉」ではないですよね。その証拠に私は文法の練習問題はさらさら解けても、文章の内容についてはよく理解できないということがよくあります。未だに。特に疲れてきたり、やる気を失う(ということがよくある笑)ともうアルファベットを脳が受け入れる事を拒否。内容の理解なんて無理無理~。

だから、「書かれてる文章の内容を説明しましょう」とか「これについてどう思いますか?」なんて言われた日にはあわあわあわ…。基本は聴き手役です。今でもね。

でもね、ただ聞き流してるわけではありません。聴きながら、彼ら(私から見た外国人)に表現に耳をすましているのです。

残念ながら、日本語とイタリア語は全く違う言語です。そりゃ読むのは簡単だし(英語の比ではない)、直接目的語・間接目的語が出てくりゃ語順が似てる感じになるけども!

口に出せば、発音が似てると言っても、日本語訛りはひどいし、言葉は全然違う。文章だって後ろから読んだ方が理解できることもある(これは自論ですが)。

時間をかけて、言葉の構造を理解する必要が私にはありました。そして、できるならもっとアウトプットすべきでした。つまり、話すということです。私はこれが完璧に欠けていましたね…くそっと思いますが、これはちょっと課題として棚上げしておこうと思います。なぜかというと、ちょっと疲れてしまったから。

何に疲れたのか、というところに留学の目的の設定の甘さその2があります。

それは「ヴェネツィアへの興味」という事です。

ヴェネツィアで1年生活してみるというのは、実は中学生の頃から何となく思い描いていた事。大学生の時にNHKの『世界ふれあい街歩き』で私はこの街に訪れてみたい!と熱望し、1度旅行で訪れ、想像通りの街並みに感動しました。だから実現できたのは、とても嬉しかったのですが、1年前の私にはそのときの情熱が欠けていました。

この街は美しいと言えるが、その先に進めないというジレンマを抱えていました。実は今でも。これはすごく悔しいです。自分の興味チャンネルと合わせることができないのは中々…。

また、他方でヴェネツィアの裏の顔というか、彼らが抱えている問題というのも知りました。前記していますが「裏」の顔です。明るい話ではありません。

一つは、観光地として耐えられないヴェネツィアの現実。ヴェネツィアの美しさの一つにこの街並みがありますが、これを保つために常に補修を行う必要があり、費用がかさむ。一々、物を運ぶのに一つ余計な移動手段が必要なために全ての費用がかさむ。結果として住むには費用がかかり過ぎて、住民がヴェネツィアから出て行き、人口減少に歯止めが効かない。一方、観光客は年々増加。住民に対して、受け入れることが難しいくらいの様相を呈しています。

かつて商店だった多くの場所は、土産屋となってどこでも売っているようなものを売り、観光客用のチェーン店がこの1年で色々なところで開店しました。街ごとテーマパークと言われても仕方ないと誰もがうなづくような状況です(ま、本物のテーマパークを知っている我々からすれば「粗悪な」と付けざると得ませんが)。

街の大切な移動手段であるヴァポレット(水上バス)の混雑は異常です。住民用と観光客用を分けた方がいいと本気で思います。

カーニバルの時期も以前なら、住民もこの街で過ごしていたのですが、今やこのシーズンになると人が居過ぎるからという理由でヴェネツィア以外で過ごすというのだから…なんだか本末転倒ですよね。誰の街なんだろう。。。

しかし、一方でこの経済を観光に頼ってるのも現実。この間をどう折り合いをつけていくのかが課題ですね。

次に、移民の問題です。移民、いや、私もイタリア人から見れば移民?ただの留学生かな?彼らの存在はなんともちゃんとした言葉で表すのが難しい…。キタナイ言葉を使いそうになってしまいます。そう考えてしまうのは、私のメンタリティの問題ですが(そして、そう考えてしまう事は私がここにいて気付いた課題の一つです)、彼らは街のどこにでもいます。危険な存在ではありません。それぞれ商売をしてますし。ただ、彼らは絶対に現地人とは交わらないんだろうな、と思いました。

もっと直接的に言うと、目ざわりだなと感じました。彼らがいなかったら、もっとこの街がきれいに見えるはずと思ったんです。でもね、なぜそう思うのかというと、たぶん私は日本で暮してほとんど日本人にまみれて生活をしていたからなんですよね。

だから、イタリアにきたらイタリア人しかいないのが普通だと思ってしまう。でも、実際は違う。この「移民」という存在は今イタリア、ないしヨーロッパ(そして、本当のところは「世界が」)が抱えている問題です。ここで指している「移民」はアフリカからのことだけど、この街にいるのは、中東・インド・中国が多い。

彼らは、自分たちの文化から外れようとはしません。滞在先になじむことはしないんですね。私はこれが問題だと思います。それが(ちょっと飛躍しますが)度々迫害に会う原因なのではないかと思うのです。つまり、彼らは他国に「稼ぎ」に来ているのではあって、その国の「国民になる」ために来ているわけではないのです。稼ぎ終われば祖国に帰るのです。これがそこの国民にとっては、―特に余裕がない時には―問題になるのです。「国民になれば」の他国の抱える様々は問題はもう「他国」の問題ではありません。自国の問題になります。一緒にその国を高めていこうという気になるとは思いませんか?でも、「移民」のままじゃいつまでも他人事ですよね。祖国に居られないから祖国を出る…でも、行った先を尊重すべきだ。と、たぶんそこまでの余裕が彼らにはなにのだと思うのですが。

最後に、これは一つ目に似ているけども…どうしてもイタリアの中世史にわくわく感を見出せなかった…。ヴェネツィア全盛のときですよ…。なんだか、当時の服飾をみても「ふーん」で終わってしまい…(ああああ、なぜだ自分…)と悲しくなる。

で、出直してきます!

(個人的には、今第二次世界大戦後のヴェネツィアの様子が知りたいが…マイナーすぎかな?敗戦後の兵士の受け入れ方がイタリアの場合、日本と対局をなすと昔何かの本で書いてあったのを読んで、すごく気になるんだよね…)

 

マイナスなことばかりだな!笑

でも、もちろんそれだけじゃありませんよ!

明日に続く。